『三河吉野朝の研究』には、
東三河と西日本の様々な名前に、
複数の類似がある事を記します。
三河吉野朝廷の所在地附近を中心として
京都大和河內方面の名稱多し。
地名には大原、字多野、上市下市賀茂鄉、
圆山、岡崎、赤坂、田原があり、
川名には昔羽川、宮地川、白川、御所川、賀茂川あり。
神社には愛宕社、日吉山王宮、下賀茂神社、
上賀茂神社、藏王權現、稲荷神社、
熊野大神、多賀大明神、神明宮があり、
佛閣には滿願寺、淨土寺、千手寺、中院、
觀心寺、般若寺、萬福寺、天龍寺、大覺山、
金能寺、大能寺、大覺山蠻伏寺、彌勒寺あり、
山には愛宕山、祇園山、山王山あり
平安朝後の朝廷の證として牛頭王天社とし
祭祀せし神社多く御芳天皇社あり、
笹踊りあり、叡山に因みて鬼祭り花木祭あり、
夏の大祭は祇園祭各地に行われる。
田原の名が吉野より古くからある事は
『東三河の徐福伝承』に書きましたが、
上賀茂・下賀茂神社まで存在していますね。
山口氏は京都に模して造ったとしますが、
創建を調べるとやはり壬申の乱に絡み、
こちらがオリジンの可能性もあります。
徐福が持ち込んだ熊野三山より古い
熊野神社についても書きましたね。
となるとイザナギを祀る多賀に関しても、
こちらが起源である可能性も皆無でなく、
後醍醐天皇がこの地を復興した理由が
察せられる感じがしてきます。