南朝のセラピス神

アレクサンダー大王は領土を拡大し、
サトラップと呼ばれるやり方で、
各地の統治を任せていました。

エジプトのアレクサンドリアでは、
プトレマイオス一世によって、
エジプト人とマケドニア人の宗教の
統合が進められたとされています。

アレクサンダー大王はペルシャの支配から
エジプトを解放した事によりファラオとなり、
エジプトの神官が外来の支配者の神を
呪っていることを考慮に入れる事で、
ギリシャとエジプトの両者から
崇拝される神を探す事になります。

ギリシャでは動物の頭を持つ像は人気がなく、
人間の姿をした像をアピスと同一と宣言し、
「アセル=ハピ (Aser-Hapi)」
(オシリス=アピス)と呼ばれ、
セラピス (Serapis) となったそうです。

エジプトアレクサンドリアで崇拝された
セラピス神はオシリス神を意味しており、
これがインド経由で愛染明王となり、
後醍醐天皇が崇拝したのでしょうか。

セラピスに関する最初期の記述は、
アレクサンダー大王の死に登場します。

ここは掘り下げると色々と分かりますが、
多少複雑な事を書く羽目になるので、
興味のある方はご自身で調べてみて、
矛盾点を追及してみて下さい。

ど真ん中ではないものの周辺情報については、
『三遠式銅鐸と古代出雲』『東三河の徐福伝承』に
既に色々と書き残してはあるのですが、
まだまだ研究や情報は沢山出て来ていますね。

これらを本にして纏める可能性もありますが、
基礎データを打ち込んだら30万字を軽く超え、
端末が処理落ちして色々と支障が出て来ており、
南朝についての本を書くかはかなり微妙です。

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