豊川稲荷の南朝天皇の儀礼

初期のエドフ神殿はホルスに捧げられた
小さな神殿の場所に築かれたとされ、
現在と違って南北ではなく東西を向く構造で、
豊川稲荷も門が東を向き東西に伸びています。

エドフ神殿はハトホルとホルスに捧げられた
最大の神殿と伝えられていますが、
ホルスに奉納する様々な祝祭の中心で、
王位継承にも関わる神殿だったようです。

毎年ハトホルがエドフのホルスを訪ねるため
デンデラの神殿から南に旅をし、
二神の聖なる結婚を示すこの事柄が、
大規模な祝祭と巡礼の要因とされまし。

ホルス神は王そのものとされ
ファラオはホルスの化身である
現人神として現世の統治者となり、
初期王朝時代のファラオは、
絶対的な権力を獲得したそうです。

アレクサンダー大王もファラオとなり、
現人神として崇められましたが、
当然、一神教の信仰とは相容れず、
様々な宗教を保護する中において、
ゾロアスター教だけ弾圧したとされます。

しかし、これと密接な関係を持った
ユダヤ教徒は優遇されたと伝えられ、
後世の捏造の臭いがプンプンしますね。

豊川稲荷がエドフ神殿であったなら、
ホルスの父母のオシリスとイシスが
愛染明王とダキニ天として祀られ、
王権を守護していたのでしょう。

徐福王朝はホルス神殿を持ち込み、
ここで王位継承の儀式を行い、
後醍醐天皇がこれを復興したなら、
南朝天皇もエドフ神殿の儀礼で
ファラオとなっていたのでしょうか。

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