空海には白と黒の犬の伝承がありますが、
黒い犬神の信仰を世界中から探すと、
エジプトのアヌビス神が見つかります。
アヌビス神は狐ではなくジャッカルですが、
ダキニもインドではジャッカルと関係し、
エジプトからインドに持ち込まれたのが
原初のダキニであった可能性が浮上します。
冬の夜空に輝くシリウスはエジプトで重視され、
「アヌビス神の星」として神格化されていました。
大犬座にあるシリウスはDog Starと呼ばれ、
アヌビス神のジャッカルの頭は星座に由来し、
シリウスの叡知の象徴であったのでしょうか。
稲荷が夜空を照らし導く神と伝承されたのも、
夜空にひときわ強く輝くシリウスに由来し、
後醍醐天皇が稲荷に導かれたとするのは、
シリウスの叡知を復興し導かれた暗喩なら、
かなりのロマンが感じられますね。
さて、これをロマンで終わらせずに
検討してみる事にしましょう。
エジプトとインド・中国・古代ヤマトを
一本の線で繋ぐ事が可能な存在として
徐福が挙げられるとする研究の詳細は、
拙著の『三遠式銅鐸と古代出雲』や
『東三河の徐福伝承』に記してあります。
ここがかなりぶっ飛ぶ話になるので、
地域振興には若干使い辛い部分ですが、
確実にデータを積み上げないと、
簡単に路線を間違える所ですね。
この研究に相応の妥当性があるのなら、
徐福がエジプト文明を東三河に持ち込み、
その神殿があったとしても問題ありません。
南朝が徐福王朝の復興を行ったのであれば、
その拠点の存在していた東三河にこそ、
朝廷を置く価値があったのでしょうか。
そしてこのエジプト信仰の痕跡は
徐福により東三河に持ち込まれ、
その神殿が建立されたものの、
壬申の乱で歴史から抹消され、
後醍醐天皇がこれを復興するも、
室町幕府により隠蔽されたのでしょう。
豊川稲荷は独特な参道の構造をした
ダキニを祀る寺院ではありますが、
この歴史が今川氏により隠蔽されたなら、
エジプト神の儀式が行われた神殿が
豊川稲荷であったのかも知れません。