行基の時代

行基は668年に生まれた説や、
658年に諸国の家ごとに仏舎を造り、
仏像を刻み経典を置かせた説など、
色々と矛盾した伝承があります。

このブログで散々書き尽くした
壬申の乱が起こったのが672年で、
668年生まれなら幼年期に戦があり、
658年であったなら14歳の時に
戦乱を経験した事になります。

国内を二分する戦乱を経験した行基は、
それ以前の司祭者が現役の世代で、
仏教修行をなした事になります。

壬申の乱で天武天皇と共に戦った役小角は
新羅の花郎(ファラン)との繋がりがあり、
新羅の仏教との関係も深かったのが、
当日の修験道であったようですが、
神仏習合を言う前から習合しています。

となると行基は仏教だけではなく、
古代神道にも関わっていた可能性を
見い出す事が出来るのでしょうが、
実際にその痕跡がありますね。

行基は新羅の仏教を学んだとされますが、
朝鮮半島の動乱から統一新羅になった
後の話として整合性が取られただけで、
それ以前の修験道に連なる新羅の仏教を
学んでいた可能性が伺えます。

行基は仏教徒として考えられていますが、
修験道の立場から伊勢について記した本の
監修も行っていた事は既に記事にしました。

行基が先住民族祭祀と密接に関わる事は、
壬申の乱の後に編纂された歴史書である
古事記・日本書紀の歴史観に影響を与えます。

行基の影響に多大なるものがあった故に、
彼の歴史が隠蔽・捏造された可能性は、
非常に高いものであると考えています。

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