武則天より設置された仏教寺院の大雲寺は、
国分寺のモデルと想定されています。
大雲寺をウイグルのマニ教徒の寺院とする説も
存在しているものの異論もあるようですね。
武即天は三つの一神教を保護しており、
その中にマニ教も入ってはいます。
とするとこれは仏教とは言いつつも、
一神教の影響を受けた大乗仏教であり、
釈迦の仏教やアショーカ王の仏教とは
系統の違うものであったと見れそうです
聖徳太子は高句麗の僧侶が師匠とされ、
百済仏教と弥勒菩薩像の関係については、
今さら取り上げる必要もないでしょうが、
百済仏教は一神教の系統なのでしょう。
東大寺は総国分寺とも呼ばれており、
総本山的な意味合いを持って企画され、
一神教の寺院の全国的ネットワークの
中枢として東大寺が建立された事に
なりそうな雰囲気がしてきますね。
行基は東大寺の建立に関与するものの
完成を見ずに昇天したとされており、
東大寺の木材の運搬に関係する伝承は
行基が悪者扱いされています。
行基がアショーカ王の仏教に連なる
修験道の雑密の行者であったなら、
容認されたと考えるのは難しく、
行基の利用価値が無くなった時点で
彼を排除したのでしょうか。