謎の遷都

奈良の大仏を造る前に聖武天皇が
奇妙な行動をとった事が知られています。

740年から745年は奈良時代であっても、
奈良(平城京)に都が無かった時代で、
恭仁京・難波京・紫香楽宮の三ヶ所に
遷都を繰り返していました。

大宰府で藤原広嗣が乱を起こした事を知り、
官軍を派遣してすぐ結果の不明瞭な段階で、
聖武天皇が740年10月に行幸を開始しています。

膨大な財を浪費しつつも都を造営し続け、
結局は平城京に戻っていった理由とは、
一体何だったのでしょうか。

広嗣の乱の鎮圧後も奈良に帰らず、
他の場所をまわっているので、
この乱が原因ではないともされますが、
唐に習い三都制を導入したとしても、
実質的には四つになっていますね。

行基と大仏建立の交渉がなされたのも、
この行幸中の出来事とされているので、
この行幸の目的を達成する事が出来ず、
行基にすがる事になったのでしょうか。

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