聖武天皇の行幸ルートの謎

聖武天皇は藤原広嗣の乱により
度重なる遷都をしたとされますが、
この移動ルートは壬申の乱の時に
天武天皇が辿ったルートと、
ほぼ被っているとされます。

藤和四兄弟が天然痘で死亡し、
重要なのポストが奪われた事から
広嗣の乱が起こったと言われますが、
天然痘は仏教の解釈では業の結果、
仏罰として下されるとされたものです。

藤原四兄弟が長屋王を排除したので、
この祟りとも考えられたようですが、
長屋王の怨霊の鎮魂が目的であれば
神社で祀れば良いだけの話で、
莫大な財政的負担は必要ありません。

壬申の乱の跡地を巡ったのは、
武力侵略された先住民族に対する
鎮魂のためであったのか、
先住民族の怨霊封じのための
呪術工作のためなのでしょうか。

国分尼寺は法華経を根本経典し、
この経典は滅罪の力があると
考えられていたとされます。

行基に依頼するに至るまでには
様々なチャレンジがあったはずで、
結局は侵略した側の呪術者を
取り上げる事になったのであれば、
遷都も効果は薄かったのでしょう。

となると広嗣の乱と遷都とは
無関係と言う事になりそうですが、
そうとは言い切れない部分があり、
現状どこまで書けるか微妙なのが
難点な話にはなっています。

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