東大寺に大仏を造る計画に関しては、
初期からこのプランではなく、
初めは紫香楽宮に大仏を造る事が
計画されていたとされます。
『試みの大仏殿』と呼ばれる菅原寺には、
阿弥陀如来像が祀られているのですが、
平安時代に造られた像と言われています。
東大寺に造営された大仏像は
盧舎那仏(大日如来)なので、
当初の計画からシフトしたのか、
菅原寺に始めに造られた大仏は、
盧舎那仏像であったのでしょうか。
なぜ違う仏の像を立てたのかは、
明らかにされてはいません。
東大寺の盧舎那仏は華厳経に登場し、
華厳経はアジアの仏教に広く認知され、
後の日本では廃れたものとなっています。
これは空海・最澄が持ち込んだ密教の
大日如来より前の段階の話であるので、
余り認知度が高くはありませんね。
華厳経について語ると専門的になり過ぎ、
重箱の隅をつつく議論になりかねず、
余り深入りは避けておきますが、
数段階を経て成立したとされており、
弥勒菩薩が教えを説いたと思えば、
唐突に阿弥陀如来への讃歌が登場します。
説一切有部で重視されるヴァミストラが
遊女として登場している事などから、
元はアショーカ王の仏教がベースにあり、
これが大乗仏教に塗り替えられたもので、
行基はアショーカ王系に連なっていると
考えているところです。