紫香楽宮の大仏建立

行基は聖武天皇と交渉し、
紫香楽宮の大仏建立にも
関わっていたとされています。

この頃から小僧と蔑まれて
弾圧対象とされていた行基は、
大僧正にまで上りつめますが、
行基の弟子の得度がなされた
証拠も残されているようです。

ただ紫香楽宮の大仏は完成せず、
『続日本紀』天平十六年十一月十三日条は、
甲賀寺に大仏の体骨の柱を建てる際に、
聖武天皇自ら縄を引く記述はあっても、
行基の事は記されてはいません。

紫香楽宮のプラン全体が頓挫した中、
行基が大僧正に任じられていますが、
苦しむ民のために動いていた行基が
この段階で大仏建立に関わっていたか、
疑問が浮かぶ部分ではあります。

大仏に金メッキをする時の水銀の害で
死者が出る事を行基が知らなかったか、
幾つか疑問が存在していますね。

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