行基は聖武天皇との交渉の後に、
最高位の大僧正にまでなりますが、
それ以降の活動に目立った記述はなく、
大仏の完成を見ずに死んだとされます。
行基と東大寺大仏の関係には
秘められた謎がありそうですが、
東大寺が笠置寺と関係する事は
記事にしてありますね。
笠置寺の正月堂のそばの崖には、
弥勒菩薩を崖に彫った磨崖仏があり、
南朝を攻める時に焼かれたとされ、
東大寺には二月堂はあっても
正月堂は存在してはいません。
行基が笠置寺と関係していたなら、
彼が建立すべき大仏は弥勒菩薩像で、
盧舎那仏像ではなかったかも知れず、
この盧舎那仏像は華厳経に登場する
如来として扱われています。
華厳経は数段階を経て成立したとされ、
アジア仏教の根幹に位置していた時期も
存在していはいるのですが、
武即天も華厳経に関係しています。
武即天はゾロアスター教・マニ教・
ネストリウス派キリスト教(景教)の
三つの一神教を保護していますが、
自らを弥勒菩薩として喧伝しています。
阿弥陀如来も元がミトラに由来する
キリスト信仰がベースにあるので、
まあ同型と言えそうではありますね。
弥勒にも二系統存在しますが、
行基は新羅系の弥勒信仰の流れで、
東大寺の大仏とは系統が違い、
本当に大仏建立に関わったかは、
かなり微妙な話になってきます。