武則天とソグド人

アフラシアブの丘にある
サマルカンド歴史博物館に、
宮殿の壁画が残されています。

サマルカンド王である
ワルフマーン王は拂呼縵と呼ばれ、
658年に唐の三代皇帝高宗から
康居都督に任命された事から、
ソグドを支配しています。

宮殿の壁画には唐の皇帝高宗と共に
高宗の后の則天武后も描かれており、
ソグドと武即天の関係を伺わせますが、
ソグド人の宗教はマニ教とされます。

ソグド人はゾロアスター教や
ネストリウス派キリスト教も信仰し、
武即天は唐においてこれらの一神教を
保護した事が知られています。

壬申の乱の後に倭国から日本へ
改名する事を許可したのは
武即天とされていますが、
日本との関係は想像以上に
深かった事が伺われますね。

この時代の日本の歴史を見ると、
唐と朝鮮半島の国々としか
関係がなかったイメージですが、
実際はこれ以外の様々な国も
視野に入れる必要があります。

唐も大帝国となる前は
隣国の脅威に曝されており、
シルクロードの交易をした
ソグド人も多大な影響を
行使した痕跡が残されています。

日本人の国際感覚の欠場は、
視野狭窄な日本史の記述にも
原因があるのかも知れません。

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