河内国の知識寺に行幸した聖武天皇は、
そこで盧舎那仏(大日如来)を拝して後、
大仏建立の構想を持ち続けたとされています。
ここで言う知識とは何なのでしょうか。
梵語のカルヤーナ・ミトラが訳されて
善友(ぜんう・ぜんぬ)・勝友(しょうゆう)・
善知識(ぜんぢしき)等とされますが、
よき友を意味しているとされます。
この知識の元義を探っていくと、
「知っている人、すなわち知友・友人」
のミトラに対応しているとされますが、
ミトラ神も友人として扱われています。
のちに法王・師家・高僧が善知識と呼ばれ、
密儀とされたミトラ教の歴史を探ると、
秘密の教義が知識と訳されたのか、
様々な歴史の背後が見えてきます。
本来のミトラはヴァルナとペアで信仰され、
後にゾロアスター教に取り込まれていき、
これと密接に関わったユダヤ教にも導入され、
メタトロンやイエス・キリストに繋がり、
更には大乗仏教の阿弥陀如来にも通じます。
ユダヤ教神秘主義のカバラにも
ミトラが取り込まれていますが、
大乗仏教系の密教の中にも、
カバラの関与のあったものが
存在しているのでしょうか。
信じる事により救われるとする思想は
本来の仏教とは関係ないものであり、
ここにキリスト教の影響が見られますが、
華厳経には唐突に阿弥陀如来が登場し、
成立の背景を探ると色々出てきます。
華厳経は行基にも関係しますが、
東大寺の思想は華厳経をベースとし、
アジア仏教の深層に関わってきます。
ここを語ると量が多くなる上に、
若干専門的な話になるので
読んでいて退屈になると思いますが、
岩戸開きの本に部分的に書きました。
聖武天皇が知識寺で大仏構想を思いつき
東大寺で善知識が重視された事には、
ミトラの影響が見受けられますが、
本来の多神教ミトラ密儀の流れも
これとは別に存在してはいます。
多神教のミトラはヴァルナとペアですが、
ヴァルナ信仰が日本に持ち込まれた話は
『三遠式銅鐸と古代出雲』に書いたので、
知りたい方は読んでみて下さい。
東大寺は行基が関与するとされますが、
二系統の仏教のどちらのミトラにする
寺院であったのでしょうか。