空海が真言密教(純密)を持ち込む以前に
修されていた雑密と呼ばれる密教を
行基の弟子が修行していた記録があり、
経典を読んだだけではない霊能力者として
活躍していた事が分かります。
行基は呪術を行い行基大菩薩と呼ばれますが、
役小角も呪術を用い神変大菩薩と呼ばれ、
雑密は修験道に通じていそうですね。
八世紀~九世紀初め頃に僧尼の活動を制限した
尼僧令には処罰規定も優遇規定も適用されず、
法律を無視して好き勝手に刑が課され、
行基のみが違反で取り締まられたとされます。
役小角も伊豆に流刑にされたと伝承され、
壬申の乱で天武天皇側で戦った小角は
先住民族祭祀の呪術者として敵視され、
この流れを行基も被ったのでしょう。
行基は個人で活動を初めて大勢が関与し、
説法や様々な工事をなしたとされますが、
実際は役小角の修験道の勢力を率い、
壬申の乱による侵略に対して活動し、
それが故に都合が悪い存在として、
取り締まりがなされたのでしょう。
仏教にも系統が存在しており、
修験道は新羅とも通じる
アショーカ王の仏教に属し、
百済から持ち込まれた大乗仏教は、
一神教の影響を受けています。
当時は古事記・日本書紀を編纂して
日本の歴史書を一本化した時代で、
彼の活動は潰しておくべき対象と
認識されていたのはほぼ確実でしょう。