行基は仏教の僧侶と考えられていますが、
実際は神仏習合の修験道を行じていた事は
殆ど知られてはいない状況になっています。
これは私の勝手に作り上げた妄想でもなく、
霊能力で知った類いの話とも完全に違い、
伊勢神道の根本経典とされる神道五部書に
大きな影響を与えた『大和葛城宝山記』は
行基による編纂とされています。
この書には孔雀明王や一言主などの
古代に信仰された神々が登場しており、
壬申の乱以前の邪馬台国祭祀に
通じた存在である事が伺えます。
行基が奈良の大仏を建立するために
朝廷から優遇される前は弾圧され、
行基集団のみを対象とした法令も
作られていたようです。
彼の行ったのは先住民族の聖地の復興で、
苦しむ民を救うために立ち上がったのも
大乗仏教成立以前の古来の密教であり、
現代にまで多大な影響を与えているなら、
先住民族王権の威光の一翼を担う
優れた存在であったのでしょう。
浜松方面では戦後の日本経済を牽引する
優良企業が多数輩出されましたが、
これも古来からの流れの上にこそ
成り立つものであったのでしょう。
遠州を見下ろす秋葉山も行基開山で、
山頂に修験道の秋葉寺がありましたが、
盛大な秋葉参詣も忘れ去られています。
ええじゃないかで復興された後に
神仏分離で断絶させられた残り香で
浜松から世界的企業が輩出したなら、
源流に立ち戻る事で更なる飛躍を
手に入れる事が出来るのでしょう。