南朝や豊川稲荷の記事を書いた時に、
歓喜天の説明をした事があるので、
ブログ内検索で調べてみて下さい。
なぜか久米田寺にも歓喜天が祀られ、
この由来が知りたい所なのですが、
不明瞭であったり伝承に矛盾があれば、
壬申の乱以前の先住民族祭祀を、
行基がここに持ち込んだ可能性が
浮上してくる工事になります。
久米田寺は南朝に加担していたので、
この段階で祀られ初めた可能性も、
無いとは言えない部分ですが、
行基が祀ったなら大事になります。
歓喜天がヒンドゥー教に取り込まれ
別の信仰体系とされる以前の、
アショーカ王の仏教で信仰された
重要な神であった可能性があります。
釈迦は様々な仏への信仰は語らず、
大乗仏教で多くの如来・菩薩・天部等が
登場してきたとされていますが、
アショーカ王の時代にも宗教統合が
行われていた事は分かっています。
久米田寺には稲荷や弁財天も祀られ、
こちらも南朝で重視された神なのは、
ブログ読者なら常識でしょう。
とぐろを巻いた蛇も祀られていますが、
これらがいつ持ち込まれたかは、
聞いても分からなかったので、
詳しい方がいらっしゃるのであれば、
コメントで教えて頂けると幸いです。