奈良時代の疫病の原因

藤原四兄弟が天然痘で死亡し、
広嗣が吉備真備を非難したと
伝承されているのですが、
吉備真備は遣唐使でした。

彼が唐から疫病を持ち込んだと
喧伝されてはいるのですが、
仏教的には天然痘は悪業により
発病する病とされていたので、
反省もせず責任が吉備真備に
押し付けられた感じもします。

全国に国分寺・国分尼寺が建立され
経典が置かれる事になりますが、
罪禍を消滅させる呪力のある経典が
用いられたのは自覚ありでしょう。

吉備真備は陰陽道で重要な存在で、
藤原広嗣の鎮魂を行っていますが、
行基も験力を買われて抜擢されており、
この時代に遷都や大仏を建立したのは、
密教呪術に頼っての事でしょう。

この時代は祭祀と言っても呪術扱いで、
形だけでない呪術的な効果があるかで
評価がなされていたのでしょう。

吉備真備が加茂氏を名乗った後に、
安倍晴明に繋がっていきますが、
後に持ち込まれた天台・真言密教も、
呪術的仏教ではありますね。

大仏建立後に藤原仲麻呂が権力を得て、
反対派の粛清などを行っていますが、
大仏や国分寺・国分尼寺の建立も、
呪術的な意図があったのでしょうか。

問題が回避されたらこの有り様で、
その場しのぎで反省の色が見えず、
後に天皇が院生を始めるまでは
藤原氏が政治を牛耳っていました。

こう見ると行基が大仏を建立し、
適当なところで死亡したと
歴史で語られる事の背景には、
用済みで排除された感があり、
この観点から様々な謎を見ると、
理解出来る節が多々あります。

菅原寺も始めから藤原氏の寺院で、
様々な行基伝承の隠蔽を見ると、
仏教とは名ばかりの問題行動が
普通に行われていたのでしょう。

キリストへの信仰を喧伝しつつ、
魔女狩りや十字軍等の蛮行が
行われて来た歴史がありますが、
阿弥陀仏の信仰もキリスト的です。

排他的で他の神への対応が酷いので
ローマでキリスト教が弾圧されたそうで、
旧約聖書も他の神や民族に対しては、
神の名による略奪や粛清などの
残虐な対応が記されています。

案外、奈良時代も一神教圏に見られる
様々な問題が横行していた可能性は
高いのかも知れませんね。

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