行基図が追儺(ついな)の儀式で
利用されていたという説が
存在しているとされています。
追儺は大晦日に鬼を払う儀式で、
かつては朝廷で行われいたものが、
寺院にも普及したとされます。
行基と追儺の関係性についてですが、
日本での追儺が慶雲三年(706年)の
行基の奏上に起源を持つとされています。
追儺の際に鬼の侵入を不可とする国土を
視覚的に表すために用いられた可能性を
指摘されてはいるようなのですが、
慶曇三年なら平城京遷都前ですね。
大仏建立のために異例の抜擢をされ、
犯罪者扱いから正式認定される前に
行基が鬼やらいの儀式を奏上するのは、
中々に無理がありそうです。
行基が鬼退治の儀式と絡められたのは
何らかの意図がありそうですが、
遠州には行基由来の鬼の祭である
ひよんどりが継承されています。
むしろ行基は鬼神を祀る側なので、
行基図が鬼神祭祀と関わった事から、
後に追儺にも利用された可能性は、
そこそこ有りそうな気はします。