八世紀のアジアの認識

日本史を見るとアジアとの関係は、
中国と朝鮮半島との交流しか
存在しない様な印象を受けます。

八世紀には渤海の北に黒水靺鞨があり、
ここも広域な領土を誇っていました。

日本でも南北朝対立において、
北畠親房が東北に派遣され
経営を任された事にされており、
東北での交易が戦略上重要な
要素として認識されていました。

東北の港で交易をするのであれば、
唐ではなく渤海や黒水靺鞨の方が
地理的に近いので妥当です。

現代のロシアとの交流を考えると、
政治的に近い国が話題にあがり、
そうでない国は交流があっても
余り話題にはのぼっていませんね。

東北は蝦夷地扱いされましたが、
東北と交流のあった国を見れば、
文化水準の推定は可能です。

先住民族を野蛮で劣った民族と
喧伝した側に都合悪い情報として
意図的に隠蔽された可能性は、
相応にあると思っています。

蝦夷征伐を達成したのは、
平安時代に蝦夷の頭領を
和睦の交渉をする名目で
都に呼び出したところで
殺害した時期からですね。

行基図には東北も含まれ、
蝦夷征伐が未達成の時期に
東北の認識があったなら、
当時の国内の歴史を知るには、
中国より北の国々に対しても
研究する必要があるのでしょう。

邪馬台国の安曇族は海洋民族で
海洋交易を行ったシュメールの様に、
想像以上にインターナショナルな
交流をしていた可能性があります。

蝦夷は劣った民族とされますが、
諸外国との交易が存在したなら、
一定水準以上はあったでしょう。

日本史と世界史が分断され、
関係性が殆どない前提で
学習を進めていっても、
実社会で高水準の動きを出す
見識を培うには弱いでしょう。

交易で多言語を用いる国では、
様々な事を考える必要があるので
普通に頭が良くなりますが、
現代の学校のカリキュラムでは、
この感覚を培うのは厳しいですね。

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