東大寺大仏殿の北東約750mの山あいの
若草山から西に伸びる尾根筋から、
行基創建とされる天地院の寺院跡が、
発掘調査により確認されたそうです。
『東大寺要録』によるところには、
天地院は和銅元年(708)に、
行基により建立されたとあります。
発掘調査では遺構は検出できなかったものの、
奈良時代後期の土器や礎石を据える石が見つかり、
江戸時代初期の「寺中寺外惣絵図」に記された
天地院跡であるとみて間違いないとされます。
東大寺の建立が天平十七年(745)開始とされ、
それより37年程前に東大寺の鬼門に天地院が
建立されたと言う事になるのでしょうか。
たまたま鬼門に建築されていたところに、
東大寺建立のプランが立ち上がったのか、
奥の院的な位置には存在しています。
天地院を東大寺の前身とされる
金鍾寺とする説も存在しますが、
院とは言っても塔を備えた大伽藍で、
山奥に建てたのは東大寺と関係する
理由があっての事なのでしょうか。
笠置寺に由来する二月堂に関しては、
既に記事に書いた事はあるのすが、
大仏殿から東に上ると二月堂があり、
東大寺の歴史には表に出ていない
行基に纏わる謎が存在していそうです。