食料危機について

最近は食料危機について
警鐘を鳴らす人が多いので、
少し書いておこうと思います。

食料自給率を上げるための
仕事をしていた人と
話をした事があるのですが、
日常では殆ど認知されない
深い問題が存在していますね。

現場では外食産業などに
販路を広げていったり、
海外から農業研修を呼んで
就農人口を上げる事などを
頑張って色々とやっていても、
全然足りないと言っていました。

販路の問題はかなり大きく、
マトモな農業をしていても
消費者に意識がなければ、
良からぬ商品が流通して、
良い業者が潰れていきます。

基本的に農業をやりたくない人が
多いとは言っていましたが、
金を稼いで海外から食料を買い
贅沢するモデルは危険度が高く、
足元をすくわれたら奈落の底です。

学校給食に牛乳やパンを導入する事で
日本の食文化は大幅に変化しましたが、
パンも海外依存の食物ではあるので、
学校で玄米を食べさせた方が良いですね。

玄米は水が少ないとパサパサで
美味しくはなくなりますが、
栄養バランスの良いものを
良く噛んで食べる事に関しては、
子供の教育の基本に据えられます。

食育は人間としての基礎なので、
自分の健康に責任を持てないなら
大人と呼べる中身はないでしょうが、
子供達に良くない物を強要するのは、
人としても終わっています。

高齢者もゲートボールをしたり、
ボケないように塗り絵や体操を
金を出して頼む事をするよりも、
草摘みや畑仕事をしておかないと、
有事には姥捨てになりません。

食料を握られる事でアメリカから
言う事を聞かないと売らないぞと
脅しをかけられる事は普通にあり、
軍事において兵糧攻めは基本なので、
生命線を握られている事になります。

日本の自給率は数字を見るだけでなく、
種や肥料、エネルギー等の海外依存度が
非常に高い事を考慮に入れる必要があり、
有事の時にどうなるかが問題です。

孔子は軍事・食料・国の信について
どれから捨てるかを弟子に聞かれ、
軍事より食料が重要としましたが、
食料より国の信が重要な理由として、
人はいずれ死ぬが国は信なくば立たずと
語った事が書き残されています。

命より大事なものがあると言う話は、
戦前の日本のイメージが存在するので
扱いにくい部分があるのは確かですが、
死ぬまで逃げ切れれば良いと言うのは、
大平洋戦争より遥か前から見ても、
特異な考えではありますね。

大乗仏教が入ってくる前のヤマトに
アショーカ王の仏教が持ち込まれ、
壬申の乱まで継続していたなら、
九百年近くはダルマをベースにした
国家運営がなされていた事になります。

道に沿った生き方をする事により、
この世での栄光を得られる上に、
あの世での報いは遥かに大きいと、
アショーカ王は伝えています。

ソクラテスはこの逆について、
不正を働いてきた者の晩年は、
惨めな事になりかねない以上に、
あの世での報いが厳しいとします。

バレなければは死後の採点では
全く通用しないと言っており、
彼が処刑を恐れなかったのは、
密儀により真理を悟った事が
大きな理由とされていますね。

ソクラテスの語った密儀の一つが
花祭の原型であったと言う話は、
岩戸開きの本に書いておきました。

大平洋戦争敗戦後の歴史どころか、
バブル以降程度の歴史位しか、
認識に上る事は少ないですが、
これより遥かに長い期間に渡り
マトモな運営がなされていたなら、
現代の特異性が際立ちます。

食料問題は人としての在り方や
生死観にまで関わる問題ですが、
無責任な贅沢をして困った時だけ
被害者ぶってその場凌ぎでは、
根本からして問題でしょう。

肉の生産のために大量の穀物と
エネルギーを消費して地球を破壊し、
切羽詰まっていないからと言って
後の世代にツケを押し付けるなら、
餓死をしても自業自得と言う物です。

いずれはツケが帰ってくるのが
物事の道理と言うものですが、
備蓄をすれば十分かと言えば、
見直しが進まず長引く事で、
備蓄が尽きる事もありえます。

食料危機も長期に渡ると言う
見方がなされる事もありますが、
小手先でその場凌ぎの対策でなく、
根本的な所からの見直しこそが、
必要な時期ではないでしょうか。

明治維新以降に歪な基盤の上で
無責任な贅沢をしてきたなら、
戻るべき原点をどこに置くかが
重要な課題となりかねません。

私の執筆活動の価値の一つは、
この部分にあると思っています。

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コメント

  1. シャイニー より:

    無責任な贅沢…いまを生きる為に心しておかなくてはいけない金言ですね 使わせてください
    昭和30年あたりの暮らしをイメージして身の回りを整えているところです
    米沢藩の士族さんは雑草の中から食せるものを持ち帰ると「お手柄」と言って励ましあったそうですが これを原動力にV字回復をしたのだと思っています 和をもって尊しとなすでしょうか?
    おじゃましました