二月堂創立への疑問

『東大寺要録』は実忠和尚が二月堂を創建し、
東大寺初の十一面悔過が行われたとしますが、
堀池春峰氏は実忠が二十代で役職も低く、
寺全体の行ではなかったと主張しました。

正倉院宝物の創建初期の「東大寺四至図」に
二月堂の記載が無いので実忠の記述は間違いで、
実忠は紫微中台の十一面悔過所に関与しただけで、
光明皇后の没後に移設して二月堂になった説を
提唱してはいますが反論もあるようです。

まあ後半の研究は蛇足感がありますが、
実忠が二月堂を建立してお水取りを始めた
伝承については私も違うと思っています。

人の研究をパクるのは宜しくないので
一応紹介はさせて頂きましたが、
行基が正月堂も含めて建立した上に、
修正会も行っていたのではないかと
研究していく過程で考えています。

二月堂は笠置寺との関係以外にも
謎が秘められているのですが、
広く視野をユーラシア大陸にまで
広げる必要がありますね。

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