東大寺創建の中心人物の良弁は
持統三年(689)に鎌倉で生まれ、
行基の法相宗の師匠とされる
義淵に師事したとされます。
別伝に近江国の百済氏の出身、
または若狭国小浜下根来生まれで、
母親が野良仕事の最中に、
目を離した隙に鷲にさらわれ、
二月堂前の杉に引っかかったのを
義淵が助け僧として育てたそうです。
この伝承によると良弁が幼児の時に
二月堂が存在したと考えられていたと
推察する事も出来そうですが、
二月堂の建立が大仏開眼の年とされ、
ここの解釈は色々と出てくるでしょう。
行基が作ったとされる二月堂奥の天地院も
702年の成立とされているのですが、
平城京遷都が710年とされているので、
平城京以前からこの周辺のエリアが
聖地とされていた可能性が高いですね。
東大寺から少し南下すると春日大社で、
古代からの聖地であったエリアに、
藤原氏が興福寺を建てたのであれば、
東大寺も藤原氏の関与が強そうです。
東大寺の前身が平城京遷都以前からあり、
これに行基が関わっていた事から
大仏建立の話に絡められた可能性は、
相応に高いのではないでしょうか。