祭祀の比較

孔子は盲目的な礼の信者ではなく、
様々な種類の礼を比較しています。

論語の為政篇に見られる内容は、

殷は夏の礼に因る、損益する所を知るべきだ。
周は殷の礼に因る、損益する所を知るべきだ。

と日本語に直訳すると微妙ですが、
メリット・デメリットの双方を見て
検討する必要を語っています。

礼と言っても広範囲に渡っていますが、
礼記に「礼は太一より生ず」とある様に、
太極拳のように道に合致するための
様々な型こそが儀礼とされていたなら、
武術の流派比較のような話ですね。

詩経に見られる様々な農耕祭祀も、
中にはそのまま真似したくない物も
混入されているにはいます。

個人ではなく集団で行われる祭祀は、
真似しようとしても無理な上に、
舞や音楽の問題もあります。

古代祭祀の研究には詩経と共に、
音楽の研究も必須だとは思いますが、
儒教の『楽経』は失われてしまい、
読む事が出来ない状態にあります。

徐福は楽経も持ち込んでいますが、
古代祭祀における音楽の重要性は、
現代より遥かに高かったのでしょう。

音楽で人を殺す事が出来るのは、
ジャイアンリサイタルだけでなく、
古代中国の文献にも書かれており、
これ以上の研究がなされていたなら、
表舞台から抹殺すべき叡知が
含まれていたのかも知れません。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする