徐福の墓

「東三河の徐福伝承」は元は違うタイトルでしたが、
諸般の理由で特定の記事を削除する事になりました。
本来は徐福の墓について記してあったのですが、
徐福の墓の場所はほぼ特定出来たと思っています。

関係者との話し合いがうまくいかず削除する羽目になり、
この研究も表を出さずに終わるかも知れませんが、
徐福渡来伝承の残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡からは、
環濠集落や高床式倉庫などは発見されています。

これらは中国の江南地方特有のものとされ、
北九州に数多く発見されている甕棺墓も、
中国の戦国時代周辺まで長江河口流域に残っていた
風習とされています。

徐福は日本に二度渡来したとされていますが、
甕棺墓は九州の北西部にのみ見られるもので、
徐福の墓はこれとは違うものだと目星をつけています。

徐福渡来と時期をあわせて銅鐸時代が始まり、
その四百年近く後に古墳時代が始まりました。
古墳をつくった思想的な背景と徐福との関係が
どこまで強いかは情報が不足し過ぎて分かりませんが、
徐福は孔子の弟子の子孫ともされているので、
徐福王朝の墓に対する考え方は、
この周辺を探っていくと紐解けそうです。

古代の墓に対する概念には中々面白いものがあり、
数回に渡り書いていこうと思います。

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