神社参拝の問題点

歴史の研究を始めてからは、
一般的な日本人よりも
神社に参拝に行っていると
思ってはいるのですが、
通っていると雰囲気で
分かって来る事もあります。

現代での神社への参拝は、
五穀奉納のお礼等ではなく、
願い事を言いに行くのが
一般的な感じがします。

五穀豊穣は農業の話なので
生きる事の根幹に関わる
人の道を踏んだ話ですが、
商売繁盛は変な欲が関わる
騙し等も入りかねません。

自分の都合を聞いて貰ったら
口先で有難う御座いますと
ハイバイバイをして終わり、
神々の立場で考える人は、
余りいないと思います。

実社会なら都合の悪い時だけ
体よく働かせようとして、
利用価値が無くなったら
相手が困っていても放置なら、
信頼が無くなるのは当然です。

普段から恩を受けている相手に
この様な行為をする人がいれば
人でなし確定ではありますが、
自然への恩恵を軽視する現代は、
こう言う事も多くありますね。

花祭や聖地の保護については、
神々への祭祀に関わる話なので、
同じ様な姿勢で関わるのなら、
信頼を失うのも必然です。

外宮の古代祭祀の継承について
全く労力をかける気もないのに
外宮に参拝して願い事をすれば、
先方に侮っていると認識されても
おかしくはない話になります。

私も色々と動いてはいますが、
コンテンツを消費するだけで
神々の側の都合を考えずに
自分の利害だけな事があると、
神々に同情したくなりますね。

こちらの提供した情報を見て、
自分の責務を棚上げした上で
都合の良い所だけ持って行き、
聖地に行って迷惑をかければ、
流石に私も怒ります。

横に武術の達人がいたとしても、
ある程度その道に関わらないと
どれだけ凄いか分からないので
タダのおじさん扱いですが、
都合の悪い事を押し付ける人は、
祭祀の価値も低く扱いそうです。

花祭は鬼神と人が一緒に楽しむ
古代祭祀の姿を残していますが、
自然を低くみて搾取するなら、
自然の恵みへの感謝も口先だけの
実行が伴わない物になります。

公的サービスを受けつつ自分の責務は
強制力が発動されなければ踏み倒し、
自分の利害が関わる事は主張すれば
覚えが悪くなっても当然ですが、
神を侮りつつ力は利用したいなら、
人でなしの思考でしかありませんね。

飢餓や自然破壊を尻目に贅沢を続ける
近代日本の無責任な姿を見ていると
自然の逆襲があっても当然ですが、
それでも期待をかけてくれているのか
我慢の限界が近いのかは分かりません。

ヤマトでは自然を神の領域とする
自然崇拝が存在していましたが、
自然の恵みを当たり前と思うなら、
餓死しても致し方ないでしょう。

この様な在り方を改めないなら、
一度飢餓を経験するのも薬だと
思う事もあったりはしますが、
症状が悪化して外科治療まで
進まずに済めばベターです。

治療して完治するならまだしも、
後遺症が残ったり苦しんで死ぬ
凄惨な状況になるのは心苦しく、
言ってもらえる内が花ですね。

神は礼がなければ受け給わずと
孔子が言ったとされますが、
相手の都合を考えないなら、
礼があると言えるでしょうか。

神社に参拝に行くのであれば、
参拝する神々の側に立った上で
どうするかを考えて頂ければ、
より礼儀に叶うと思います。

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