読書量

源氏の本を書く羽目になり、
余りにもやる事が多いので、
朝に階段を下りるのも厳しい
困憊した状態になっています。

本を書く時は実地調査以外に
大量の読書を行う必要があり、
一つ疑問が出れば十冊読む、
高山を登る修験者紛いの状況を
数ヶ月継続する事になります。

読む速度を上げるには
幾つかコツはありますが、
新規分野が遅くなるのは
致し方ない所ですね。

日本人の社会人の読書量は、
読む人は桁が幾つか違う物の
月数冊も読まない人が多く、
学校教育の害を感じさせます。

何年に何がありました終わりの
無味乾燥な歴史教育を受けても
人生に生かせる知恵にもならず、
何の興味も湧いては来ません。

多少金が入って来たとしても
肉体的欲求に使用してしまい、
本などに投資しないなら、
長期的には差が出ますね。

暗記をしなくても論文を書いたり
ディベートをさせれば自然に覚え
使える知識にはなるのですが、
受験で苦労したぶん大学では遊び
社会人になって読書をしないなら、
基礎教育の程度が低すぎます。

現代では東大も世界的に見れば
微妙なランクになっており、
教育の質そものもの見直しが
必要な時代ではありますね。

ギリシャでは歴史は吟遊詩人が
歌って伝えるような伝承方法が
確立されていたようですが、
これだと自然に覚えるので、
教える側の問題は大きいです。

価値ある本を一冊買えば
1500円位は飛びますが、
ネットでは月500円ですら
高い感じを受ける事が多く、
その人の価値そものもの
その程度に落ちかねません。

歴史の研究を進めていると、
本当に重要な情報を知るには
本を読むのは最低ラインで、
重要な情報は実地にあります。

相手から見て伝える価値が
あるかを判断されるので、
人としての問題が根本的に
重要になってきます。

何度も足を運んだりしながら
地道な事を続けていますが、
時給換算は出来ない所で
かなりの対価を払っています。

ネットでお手軽に知識を得られ
無料で色々知れると思ったら
大きな間違いをおかしかねず、
現代でも本当に重要な情報は、
その人につく物なのでしょう。

パワースポットの様な感覚で
高貴な神社に行こうと思っても
マトモに相手をしてもらえるか
微妙な部分はありそうですが、
実社会でもそうですね。

本人の格を上げれば自然と
格の高い所との縁が出ますが、
礼儀もなければそれまでです。

体よく利用したいだけなら、
その程度相手との縁しか
出来ないだけでは終わらず、
漬け込もうとする人も出ます。

江戸時代までの学問
人格を磨く事が基本にあり、
小手先の話はなかったのに、
小者の量産をしているなら
教育とは言えないでしょう。

現代にまで影響を及ぼし続ける
アレクサンドリア大図書館の
高度な学問のクラスにまで
水準を取り戻すのであれば、
生きる姿勢からの見直しが
必要なのかも知れませんね。

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