土壌の衰退と文明の終演

多くの歴史学者は文明の終演を
気候変動、戦争、自然災害等の
人的な要因として分析しますが、
多くの場合は数世代に渡る
土壌の侵食度に相関する形で
衰退すると言う研究があります。

人の問題ばかりに焦点が合い、
自然との関係を視野に入れない
学術体系に問題はないでしょうか。

儒教は勃興する様々な国を見て、
長期継続するための道理を教える
官僚の学問を整備しましたが、
重農を基本とし祭祀を重視します。

天の神のみを祀る西洋と違い、
天地の神々を祀る古代アジアは、
大地を神聖なものとする儀式が
天子によって為されて来ました。

山の神や川の神、水神や龍神等、
様々な自然界の神々との関係を
重視してきた古代の在り方は、
現代より程度の低い段階として
切り捨てて良いのでしょうか。

人間を一番知性のある存在として
他を搾取して良いとするプライドを
満足させるのに都合の良いだけの
根拠しか有していない学術なら、
悪害が非常に多い物となります。

以前、来日した学者の生徒が
木の枝を折ったのを見た老婆が、
木にも心があって痛がるから
辞めるように注意したところ、
科学的な変化でしかないから
問題ないと言われたそうです。

他人に自分の腕を折られた時に、
体の科学的なデータを出されて
問題無いだろうと言われても
納得出来る人はいないでしょうが、
人にした事は自分に帰りますね。

山や川が悲鳴を上げていても、
私利私欲だけで破壊し尽くし
見て見ぬ振りをしていたなら、
相手側はどう思うのでしょう。

ソクラテスの対話を読むと、
自然界の神々とのコンタクトは
特別な物ではなかったようで、
ヘレニズム流入したヤマトに
同様の思想が存在していても
おかしくは無い話です。

自然の神々を下に置かず
良い関係を築いていく事で
国家の繁栄を求めたなら、
現代とはベクトルが真逆の
文明であった事になります。

一気に戻る事は出来ませんが、
日常生活で自然から搾取する
贅沢を辞められるだけ辞め、
自然界に感謝して関係修復を
していく事は十分に可能です。

緩慢な死に向かっている現代は、
もう一度自然との関係を根本から
見直すべき時期にあるのでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする