農耕は天と地の双方が関わる
ダイナミックな行為ですが、
天地の在り方に順じた物と、
逆転した物が存在します。
易経では天地が順である事を
地天泰と読んでいますが、
国で言えば上下が通じあう、
泰平の世を意味しています。
これが逆転したのが天地否で、
外面は強くても内面は貧弱な
プライドの高い人でなしで、
義もなければ君子の知恵もなく、
マトモでない人事で大物が去り、
小物しか残らないとされます。
旧約聖書で農耕をする兄を
狩猟をする弟が殺す話は
天地否そのものですが、
近代文明もこの通りです。
騙して力で奪う岩戸開きも
これと同様のものであり、
旧約聖書に記されている
神と戦いイスラエルの名を
授かる話もおかしいですね。
神と戦う事で神の上に立ち、
支配者気取りの文明を
進めて来た結果は散々で、
自滅の危機を迎えています。
マツリゴトは政祭を指し、
政治と祭祀が天地を調和させ
バランスを正す行為だったのが
現代は調和も何もありませんね。
一口に自然と言っても、
人に都合の良い事だけで
構成されている訳でなく、
危険な動物も沢山います。
神の祟りの記述が残されますが、
自然を甘く見て痛い目にあい
飢餓に苦しむ事を考えると、
自然とどう関わるかについて、
もう少し考慮が必要でしょう。
自然との調和の概念は現代と違う
自然を司る神々との調和であり、
このために祭祀を継承する事が
重視されて来ています。
王の文字は天地人を貫く柱で、
古代中国では天地の神に
認められる事が大事とされ、
始皇帝が封禅の儀をした後に
徐福が仙人に会いに行く話を
持ちかけたとされています。
徐福がこの国で王となったなら、
天地の神々に対する封禅の儀を
行った可能性は高いでしょう。
エジプトでは太陽神ホルスと
一体となる事で王となりますが、
豊川稲荷がホルスのエドフ神殿なら
同様の儀礼がなされていたとしても
不思議はない事になってきます。
オシリス・イシスは穀物神であり、
農耕祭祀が重視されていたなら、
徐福王朝における天地との調和は
天地の神々への祭祀で貫かれた
神聖なものだったのでしょうか。
自然との調和の概念には幅があり、
古代祭祀の在り方はその見直しに
有益な視点を提供してくれます。