『詩経』に都市開発の詩があり、
政祭一致の古代世界における
考え方を伺う事が可能です。
天意を伺い地霊と関係を作り、
都市開発を行う姿が記され、
現代との違いが見れますね。
古代からの聖地を破壊して
開発に当てるケースは多く、
型だけ地鎮祭を行っても、
天意を伺う姿勢はありません。
以前は農業でも地鎮祭が行われ、
地霊との関係を重視した事を
見る事は出来るのですが、
天意を伺う事はありませんね。
実社会であれば先方との交渉で
合意を得なければ進められず、
地霊が納得いかない形で
開発や農業を行う事をすれば、
略奪・搾取と同等になります。
古代中国にも地理(風水学)が
存在していたにも関わらず、
天意を伺う事を行ったなら、
知識だけでは成立しない事を
認識していたと言う事でしょう。
医療も知識を集めるだけでなく
様々な診断方法が存在しますが、
対話も重視されていたので、
天地に対しても同じ事でしょう。
君子の定義を神人合一して
政治を行う人とする物があり、
天地の意思を汲み取った政治を
行う事がマツリゴトであるなら
人の世界より一つ上の階層が
存在している事になります。
儒教の入門書の『大学』では、
身を修めて家を整えた後に
国の問題に入って行きますが、
更に上に平天下が存在します。
人だけが良い政治ではなく、
天地の神々とも調和した
輝ける世界を作る事こそが
官僚の仕事とされていたなら、
現代とは天地の差があります。
国の基幹とされた農業も、
この思想の上に立脚したなら、
現代において見直しが必要な
大事な何かを伝えているのが
『詩経』なのかも知れません。