京都調査の収穫

京都の調査に行った時は
回る場所が多すぎたので、
優先順位の低い所を捨てて
京都駅に戻った時には、
日没寸前の状態でした。

バスで移動していたのですが、
余裕で一便分遅れて来たり、
何かとスケジュール通りには
いかない所がありましたね。

一番のミスが後白河天皇の
墓に行こうと思ったのですが、
宮内庁の管轄下にあって、
平日の昼間しか入れない
お役所仕事だった事ですね。

後白河天皇については
色々と仮説を立てており、
知識だけでは弱いので
実地の雰囲気がどうかを
チェックしたかったのに、
非常に残念ではあります。

ただ手前の寺には参拝でき、
厳島弁財天と豊川ダキニ天が
祀られているのを見た時は、
ヤバい物を見た時のような
特集な感覚に打たれました

ダキニ天と言えば熊野ですが、
なぜ豊川稲荷のダキニ天が
関わっていたのでしょうか。

熊野と院政の関係については
色々と言われて来ましたが、
ダキニ天が関わるものの、
豊川稲荷なのは驚きです。

上皇の熊野参詣が盛んな時期に
三遠が関わっていたとなると、
底知れない深層が存在した
可能性を感じさせるに十分です。

ただこれを調べようとすると、
また膨大な史料に目を通す
苦行が始まる事になる上に、
本の経費がかさんで来ます。

かなりレアな情報になるので
調べるのに骨が折れそうで、
それに見合うか否かは
難しい所がありますね。

エンタメ情報提供のために
苦行を行うつもりはなく、
時代的な価値があるかが
判断基準になりますが、
微妙な所になりそうです。

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