
池の水が枯れた後に草が生え、 雨が降って水位が戻っても 水面に草が出ている状態で、 見苦しくなっていました。 行政が地下水を組み上げる パイプを交換するまでは、 毎年この時期に干上がり 地面が露出して来ます。 丁度良いので草を抜いて 綺麗にしていたのですが、 他の人は見ているだけで 何一つ手伝いませんね。 道を通りがかった人から、 ちゃんと見ているからと 評価はされたのですが、 評価する前に自分でも やればとは思いました。 面倒な事を押し付けたいのか、 メリットの無い事は嫌なのか、 普段は自然から恩恵を得ても 見て見ぬ振りをする人の運は、 どうなって行くのでしょう。 仏教には托鉢がありますが、 恵んで貰うための行為でなく、 貧弱のための行為だそうです。 釈尊が弟子に托鉢を勧める時、 金持ちから貰うのではなく、 貧者を相手にするように 伝えたとされるそうですね。 金持ちはに貧しい時から 寄付をしていた人が多く、 貧弱は人に与えないから 貧しいままとする考えで 托鉢が行われたそうです。 人から奪おうとしたり セコい事をしている人は、 金持ちでないイメージが 確かにありますね。 自分から与えないからから 与えられる循環が起こらず、 悪循環を繰り返しているなら 断ち切る行為が必要です。 神社でも賽銭をケチるなら、 金額の大小より思いの方が 悪影響を与えそうです。 「賽」は神から受けた福に 感謝して祭る意味とされ、 本来は米を捧げた様ですが、 感謝がないと恵まれていても 不足ばかりになりますね。 まあ貰うだけのテイカーは 長期的には信用を失う事が データとして出ているそうで、 真っ当な金持ちからは、 下品さが感じられません。 都合の悪い事を押し付けても、 責任の踏み倒しが負債となり 何れはツケが返ってくるなら、 賢いとは言い難いでしょう。 アリとキリギリスは冬になり 結果が出て来ていますが、 収穫のない冬を越すために 徳を積む事が重要ですね。 誰かが有益な対策をすると言う 確実な保証があれば別ですが、 食料問題の顕在化はこれからで、 周りに合わせて一緒に沈む事を 選択したいものでしょうか。 良い大人なら自分の人生は 自己責任で決定するもので、 過度の依存は危険です。 同調圧力には責任の所在がなく、 何かあっても誰も責任を取らず 結局は本人の責任となるなら、 初めから自分の責任において 対応する方がお得ですね。 事前に言っても馬鹿にして 何か事が起こった後に、 何で言ってくれなかったと 非難する人が多いですが、 謝罪をする人は更に少なく、 自業自得感が拭えません。 言われている内が花なので、 書ける内は書いておきますが、 そろそろ次に進む段階に 入って来ていると思います。 正月を控え地元の神社に 参拝に行く時期ですが、 地元へのリスペクト無しに ポーズだけで一年の守護を 求めるのはどうでしょう。 その地で生きているのに どれだけの恩があるのかは 失ってみれば分かりますが、 小銭で体よく働かせようは 信頼を失いかねません。 来年を波乱の年と見る人が 結構いるように感じますが、 変革の時は志のある人が 活躍する時期でもあります。 一年の初めには感謝と共に 志を持って参拝に行く事が 重要な一年になるのではと、 感じているところです。