奈良県奈良市菅原町の喜光寺(きこうじ)は、
この一帯が菅原氏治領の菅原の里であったので、
菅原寺と呼ばれていたとされています。

行基が建立し没した地ともされており、
行基菩薩が東大寺建立に先だち、
本堂を建立したという伝承から、
「試みの大仏殿」と呼ばれていますが、
これ以外にも謎が存在しています。
安元元年(1175)成立の『行基年譜』は、
養老五年(721)寺史乙丸が住居を行基に寄進、
翌年に行基がこれを寺としたとしていますが、
『菅原寺記文遺戒状』は霊亀元年(715)に
元明天皇の勅願により建てられたとします。
寺の名称が代わった理由が聖武天皇が参詣時に
本尊から不思議な光明が放たれるのを見て、
菅原寺から喜光寺に改めたとされています。
『続日本紀』は延暦元年(782)に、
この地にいた土師氏が桓武天皇から
菅原姓を賜ったとしていますが、
理由等に不明な部分が多いそうです。
菅原の里は菅原道真の出生地とされ、
行基と菅原道真がリンクします。
行基の本に詳しく書いたので
ここでの重複は避けますが、
天神を深く理解したいのなら、
行基の謎の理解度の深さに
左右される事になります。
研究の積み重ねの重要さが
重要であるのであれば、
今までにない歴史研究を
提示している私でないと、
提唱出来ない説が出ます。
何冊書いてもブレるどころか
補強されている状況であり、
全てが深層でリンクします。
現代の問題にまでリンクする
深層が存在しているのなら、
最新情報ばかり追っていても
駄目な領域がありますね。