銅鐸と道真

河童の仲間で河童よりも古い
兵主部(ひょうずべ)とよばれる
妖怪が存在すると言われています。

大宰府に左遷された道真によって
兵主部が助けられた伝承があり、
なぜかここから三河に話が飛びます。

『落穂余談』に記された所によると、
三河国で道真の末裔の設楽某という力持ちが
河童を捕えてこれを殺そうとしたところ、
助ければ一族一党を水難から守ると約束し、

ヒョウスヘは
約束せしを忘るなよ
川立ち男氏は菅原

という呪歌を証文の代わりに教えたとします。

三河の設楽と言えば奥三河の設楽氏が
志多羅神上洛事件と関係している事を
『ええじゃないか』の本に書きましたが、
上洛事件には道真公の神輿も担がれ、
深い所で関係していた事を伺わせます。

兵主部の起源を古代中国神話に登場する
水神・武神の蚩尤(兵主神)とする説が
存在する事は銅鐸の本に書きました。

太宰府天満宮の境内に兵主部を祀る
祠が存在していた時期があったそうで、
天神信仰と妖怪とがどう繋がるかの
説得力のある説は見た事がありません。

この神は秦氏らの帰化人が伝えたと
一般的に考えられているようですが、
『三遠式銅鐸と古代出雲』の本には、
徐福系の秦氏との関係を書いたので、
関心があれば読んでみて下さい。

この神は徐福の持ち込んだ銅鐸と
密接に関わっていたようなので、
天神信仰と徐福とのリンクが
存在する可能性が浮上します。

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