北野天満宮の創建を探ると、
このブログで散々書いてきた
志多羅神上洛事件が関わります。
志多羅神を祀る神輿の中に
天神が入っていた事には、
どんな意味があるのでしょう。
この周辺についての詳細は
源氏の本に書きましたが、
石清水八幡宮に上洛したのも
大きな意味が存在しています。
八幡神と天神のペアの信仰は、
この後に日本史を大きく動かし、
平将門の乱でもこの二神が
伝承に登場していますね。
それだけでなく奥州において
前九年の役が勃発しましたが、
ここにも八幡・天神信仰が
密接に関わる事となります。
八幡神について書いていくと、
それだけで一冊の本になるので
触り程度しか書けませんが、
石清水八幡宮は源氏とも関わり、
鶴ヶ丘八幡宮に勧請されています。
石清水八幡宮の深層については
源氏の本に書いていますが、
清和天皇の時代に建立された
伝承が残されてはいるものの、
若干の問題が存在しています。
清和天皇の後に極悪の陽成天皇が
皇位に就いたとされていますが、
これを排除する形で宇多天皇が
即位する流れとされています。
宇多天皇が道真公を抜擢したので、
石清水八幡宮と天神の関係には、
歴史の捏造により隠されたリンクが
存在している可能性はありそうです。