菅原天満宮は奈良の他に出雲にもあり、
島根県宍道町菅原が道真公誕生の地と
伝承されているそうですね。
この地には野見宿禰の墳墓などの
古来からの言い伝えがあるそうですが、
野見宿禰が出雲から奈良に呼ばれ、
相撲をして相手を殺したとする伝承は
『三遠式銅鐸と古代出雲』に書きました。
野見宿禰は菅原氏の祖先とされ、
青白きインテリの菅原氏は
文武両道のイメージとかけ離れ、
道真公の評価を落としています。
孔子をインテリと舐めてかかると
身長2m越えの武術の達人であり、
返り討ちにあった話がありますが、
古の政祭に関わった人達は、
低く言われる傾向がありますね。
出雲と言えば銅鐸の大量出土があり、
この地に出雲が存在したとされますが、
市町村合併をした新浜松市からも
日本最多の銅鐸出土数が認められ、
古代出雲である浜松エリアにこそ、
菅原氏のルーツがあるのでしょうか。
土師氏と言えば出雲に関わるので、
菅原神社の信仰圏土師氏の分布と
ほぼ重なる範囲にある事から、
道真公と出雲の関係が認知され、
出雲誕生と喧伝されたのでしょうか。
静岡県西部を北上した山脈の中に
行基出身の地とされる四方浄があり、
このエリアの土師氏が行基と行動し、
後に菅原氏と改姓したのであれば、
古代出雲に関わる人物としての
再解釈が必要となりそうです。
このブログでは古代出雲が
三遠に存在した事になっており、
詳細は銅鐸に本等に書いたので、
関心があれば読んで下さい。
道真公の生誕の地には様々な地が
伝えられている事を考えると、
既存の説に偽りがある事を知る
出雲関係者が既存の説に対して
異を唱えた可能性がありますね。
菅原寺と関係付けられたのは
後世のカムフラージュであり、
喜光寺は菅原寺からの改名でなく、
始めからこの名前なのでしょうか。
東大寺と違う大仏が鎮座する事も、
行基が作った寺でなければ当然で、
笠置で東大寺の木材を運んだ行基が
悪者にされ抹消された事と同様、
この周辺にも捏造がありそうです。