外道の吉祥天

菅原道真が吉祥天の信仰をしていた事は
既に記録に残されていますが、
この天部は外道の神とされています。

この周辺まで掘り下げて書くのであれば、
ブログ記事より一冊の本に纏めた方が
体系的に理解が出来そうですね。

余り書きすぎてもブログの趣向とは
若干路線の違う話になりかねないので、
時代的な意義で認知を広める以外は、
何でも無料で誰でも見れる形でなく、
違った展開の方が良さそうではあります。

ブログの趣向に沿った話をすると、
吉祥天女と天河大弁財天の創建に関わる
天武天皇と役小角の話が存在しています。

天武天皇が天河大弁財天社の創建時に
天河の上空で天女(吉祥天)が舞ったのを
吉祥の印としたと伝えられています。

役行者と共に伊勢の内宮に祀られる
天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫を
天の安河の日輪弁財天として祀った時に
吉祥天が五回振袖を振った事から、
五節の舞が宮中の慶事のたびに
催される事になったそうです。

外道の吉祥天が瀬織津姫と共に
修験道の開祖の伝承に関わるのは、
先住民族祭祀の神である事を
意味しているのでしょう。

この女神はスピリチュアル界隈で
有名となった存在ではありますが、
花祭にも関わる女神である事に
触れられる事はほぼありません。

天河弁財天は役小角の伝承で、
この国を守護する神を呼んだ時に、
地蔵菩薩や弁財天が登場するも、
優しくて相応しくないと却下され、
そこから弁財天を祀るために
天河が建てられたとされています。

却下しておいて祀るのも何ですが、
弾圧された邪馬台国祭祀の継承に
苦労した痕跡が見受けられますね。

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