春分の参拝

今日は春分の日だったので、
早朝に某神社に参拝しました。

やっている事が特殊なので、
信仰と言うより報連相のため
行っている感が強いですが、
アショーカ王の仏教では、
神々と交流して運営したと、
王の碑文に記されています。

これと比較して考えてみると、
パワースポット的な参拝は
子供っぽい段階にあるのか、
人が神のように成る事を
ソクラテスが語っています。

どう評価されているかで
先方の対応も変わるので、
小手先ではなく生き様で
動かす位の姿勢がないと、
教えられない聖地があります。

ちょうど日の出を拝めましたが、
何か訴えるような太陽の輝きで、
特別な一年になりそうな感じです。

昔は太陽も神と崇めましたが、
納得出来る神々しさですね。

大きな変革が起こる時には
大きなチャンスがある反面、
既得権にしがみついていれば
崩壊の憂き目に遭遇する事も、
良くある話ではあります。

見ないようにして先送りした
ツケの精算の問題があるので、
負債の大きさ如何でしょう。

自給率の低さ等の基盤の弱さが
変革時に痛手になりそうですが、
対応出来ている人は想像以上に
チャンスが存在していそうです。

古代史の話をしているので、
未来についての見解には
弱い部分はありそうですが、
太陽神たる饒速日命には
天孫降臨神話が存在します。

天岩船と何気に未来的な
雰囲気のする伝承なので、
この周辺が関わるなら、
想像以上に大きな変革が
起こるかも知れませんね。

縄文になると学術的研究は
難しい状況にはありますが、
某筋から聞いた類の話や、
特殊な巻物が残されている、
神から聞いた等になると、
ある意味何とでも言えます。

こう言う類に時間を使うなら、
他にも大事な話は沢山あるので
そちらを研究して来ていますが、
今まで出せなかった情報も、
情勢の変化で出て来そうです。

神社に参拝に行った時に、
これからの流れについて
少し掴めた感じがしたので、
多少路線に変更が出る事が
あるかも知れません。

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