唐の滅亡と奥州での戦争

875年に唐を滅亡まで導いた
黄巣の乱が起こった後に、
元慶二年(878)に奥州の地で
元慶(がんぎょう)の乱が勃発。

これを鎮めるのに十力月も要し、
中央政府にも大きな衝撃を与えた
大規模な乱であったとされます。

『三代実録』や『藤原保則伝』に
記されている内容を信頼すれば、
秋田城司・良岑近(よしみねちかし)が
強引な課税を行った事から俘囚が隆起し、
大規模な争乱に発展したようです。

『藤原保則伝』に記されている
「怨を畳ね怒を積りて反逆」から
恨み骨髄の様子が垣間見えます。

隣国の陸奥に三千の出兵が命じられ
出羽国にも歩騎二千を授けますが、
鎮圧する事は出来なかったそうです。

藤原保則が懐柔策を採った事で
戦いは鎮静化したとされますが、
元慶の乱は陽成天皇が即位した
876年の二年後の話になります。

アジアのパワーバランスの変化が
国内の勢力地図にも影響を及ぼし、
搾取対象とされた先住民族独立の
気運に繋がったのでしょうか。

これが黄巣の乱と関係したかは
不明な部分が多いのですが、
この事件を単一のものと見ず、
他の事件との関係を見ると、
時代の影響を強く感じます。

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