蝦夷と新羅の脅威

延喜十四年(914)に三善清行が
醍醐天皇に奏した十二カ条が
「意見封事」(『本朝文粋』巻二)に
書き残されているのですが、
九世紀末から十世紀初頭における
日本の軍事的脅威が語られています。

蝦夷の乱と新羅の警が具体的な
課題として挙げられていますが、
九世紀以降の新羅の衰退に伴い
新羅海賊が出現したとされています。

醍醐天皇の延喜年間(901~923)は、
律令制の刷新と再編がなされており、
道真公左遷から始められていますが、
この周辺には多くの疑問が存在します。

921年には大宰府において
謎の託宣が行われており、
アジアとのキナ臭い関係を
見る事が出来るのですが、
敵が蝦夷や新羅であったかは
不明瞭な部分がありますね。

この周辺はアジアの変動と
隔絶された鎖国状態とされ、
日本は独自路線が貫けた事に
一応はなってはいます。

しかしこれが事実でないなら、
道真公の大宰府左遷の伝承は
全く違った解釈が必要となり、
天神信仰を抜本的に見直す
必要性が出る事になります。

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