日本と高句麗

668年に新羅に滅ぼされた高句麗には
日本神話に類似した天孫降臨伝承があり、
天帝と日月神の子を称する王によって、
紀元前一世紀頃の北東アジアに建国された
騎馬民族の系譜をひく国家と見られています。

高句麗の僧侶が聖徳太子の師匠とされ、
高句麗の仏教が日本仏教に多大な影響を
与えた事が伝承されています。

新羅は朝鮮半島の根っこを押さえられ、
侵略を受けて南下する形となっており、
百済は更にそこから追い込まれる形で
半島の端で国を維持していました。

結局、高句麗と百済は唐と新羅により
滅亡させられる事になりますが、
高句麗の残党が作った国が渤海で、
日本と交流していますね。

百済が滅ぼされて残党を助けるために
倭国が白村江に海軍を送って大敗し、
その後の壬申の乱で国内が二分したとされ、
アジア情勢も視野に入れて再解釈しないと、
この時代の本当の所は掴めないでしょう。

騎馬民族と言えば騎馬民族渡来説が
一時期流行った事がありますね。
日ユ同祖論の必須アイテムとして
ユダヤ人と絡められる事がありますが、
最先端の研究ではどうなのでしょう。

武即天が一神教を保護した事は有名で、
影響があった事は間違いないですが、
様々な説の詳細については何とも言えず、
私の研究も日ユ同祖論と被る所はあるものの、
違ったデータも腐るほど出て来ています。

いずれこの分野も書くかも知れませんが、
若干傍系に位置する情報ではあるので、
ブログで書くかどうかは分かりません。

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