和同開珎

慶雲五年(708)の正月に
武蔵国秩父郡で発見された銅が
献上されたのを喜んで和銅と改元し、
これを用いて初めて鍩造した通貨が、
日本最初の通貨とされる和同開珎です。

と一般的には言われているのですが、
長安や渤海国の都の上京龍泉府からも
和同開珎が出土しているとされています。

708年と言えば持統天皇崩御が703年、
武即天が705年没とされている事から
この後の話しとなるのは確かですが、
唐は一時的に武即天により武周朝となり
唐に復帰した後の出来事となりますね。

日本最初の通貨がこの時期であれば、
貨幣形態が壬申の乱の後に変化し、
大規模な社会システムの変更が
なされたていた事が分かります。

こだま中国では宝貝を貨幣とし、
安曇族も貝を採っていた事から、
日本でも貝が貨幣として扱われ、
貨幣価値が無くなった事で廃棄され、
貝塚になった可能性もありそうです。

日本国の経済システムの勢力に
渤海が深く関与していたなら、
もう少し語られても良い物なのに、
メジャーでない理由は何でしょうか。

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