三河の存在する愛知県は知を愛すると書きます。
フィロソフィーはギリシャ語で知を愛するフィロソフィアに由来し、
フィロソフィーは西周(にしあまね)氏により哲学と訳されました。
西周氏は、江戸時代後期から明治時代初期に活躍した
日本の哲学者・教育家・啓蒙思想家・幕臣・官僚で、
明治初期に「哲學」(希哲の学)という訳語を作ったと
複数の文献で説明されています。
北宋の儒学者・周敦頤の記した『通書』志學第十にある
「士希賢」から「希哲学」の語が生まれ、
中国西学がPhilosophyの訳語として活用したものを、
希を省略して哲学と呼んだのが始まりのようです。
哲学は知を愛するという意味のみで、
具体的な内容には言及していないので、
本来は現在使われている意味ではなかった様です。
西周は西洋の心理学と東洋の儒教・仏教を統一した
新しい心理学の体系を書き続けるも、
『生性発蘊』は未完に終わったそうです。
これが出版されていれば哲学のイメージは
大幅に変わっていたのかも知れません。
抽象的な学門を形而上学と呼ぶのは易経の形而上伝に由来し、
易経は形而下伝も含め抽象・具象の両面を扱っています。
若かりし頃のアレクサンダー大王はプラトンの門下生である
アリストテレスを家庭教師につけ幅広い学びをし、
アレクサンダー大王がアレクサンドリアで最も重視したのは
大図書館の建設だったようです。

徐福とアレクサンダー大王に繋がりがあったとすれば、
愛知の名もアレクサンドリアの高度な知的活動に
通じたものがあるのでしょうか。
ギリシアのデルフォイ神殿に掲げられた「汝自身を知れ」は
ソクラテスが行動の指針にしたものとされますが、
古代日本の知的水準は想像以上に高度なもので
あったのかも知れません。