本を書く羽目になった事で、
色々な人と話をする事が
出てくる様になりましたが、
スピリチュアル系の人とも
話をする事があります。
色々と話して感じる事は
個人スケールの話が多く、
政治等には弱い傾向が
あるような気がします。
抽象論ばかりで余り芳しい
対策が語られる事がなく、
本人も当事者であるのに、
人に言っても本人はしない
事例が多かった印象です。
故クリシュナムルティは
精神世界のグルとされ、
政治について質問された所、
私はこちらの分野には関節が
外れていると言ったそうです。
現代のスピリチュアル系は、
この周辺の時代の情報源に
頼る傾向が感じられますが、
昔の傾向は違っていました。
孔子やプラトン等の哲学者は
私塾を開いていましたが、
政治家や官僚の育成機関なので
本来からして政治志向であり、
こちらの回答は容易いでしょう。
政治と言っても権力志向でなく
古代の政祭一致の話であり、
政治の政は正を意味しており、
トータルバランスを重視します。
利権ではなく経世済民の
自然界の神々とも調和した
国家運営を基盤としますが、
現代の精神分野は儒教で言う
格物と修身の段階が主ですね。
格物は道理に精通する事で、
身を修める事は基本ですが、
そこから家の段階を経て、
国の問題に入ります。
戦国時代などは家が大企業や
国程度の扱いであったので、
核家族家している現代に
特有の傾向が見えますね。
徳川家や武田家などの対立は
御近所間のイザコザでなく
国vs国の戦争と同義ですが、
戦国時代の好きな経営者は
結構多そうなイメージです。
江戸時代までは家業を継ぐ事が
普通に行われていなしたが、
現代で言えば企業に通じる
道理として解釈出来そうです。
大家族制を提唱する企業も
存在してはいましたが、
英語のカンパニーの語源は
同じ釜の飯を食う仲間に
由来しているとされます。
国の運営も一部の利権でなく、
天地の神々と共に輝ける世を
創り出すためのものであり、
個人の悟りはゴールでなく、
ただの通過点ですね。
少し噛ると慢心してしまい、
宗教団体を作って教祖になり、
さもしい事をする危険性は
儒教経典で指摘されており、
都合の悪い事を誤魔化して
プライド保持に生きるのは、
残念な感じがしますね。
石原莞爾は太平洋戦争終結時に、
戦争する方がマシな時代になると
予言したと伝えられていますが、
精神世界に救いを求める事が
盛んになる状況になっており、
予言は十分に当たっています。
ただ現在は歴史的な点観点にあり、
ここでどう動くかで大きな差が
出てくる状況に位置しているなら、
これらのジャンルも温故知新が
有益なのではと思っています。