渤海国と日本国との交流は、
渤海が日本に使節を派遣した事から
始まったとされているようです。
第一回の渤海使は漂着の際に
首脳陣が蝦夷に殺されたとされ、
その意図が伝達されたかは
定かではないとされますが、
新羅との関係に影響を及ぼします。
日本書紀は新羅を敵視していますが、
半島を統一した新羅と嫌々ながら
関係を持っていた状況下において、
味方を得た日本の姿勢が高慢となり、
743年~752年まで国交断絶したと
既存の歴史では語られています。
743年は大仏造営の詔が発布され、
752年は東大寺大仏の開眼供養が
なされた事になっているので、
行基の時代と被りますね。
安史の乱は755年からとされ、
この周辺の歴史を語ると
結構な量になってしまうので、
知りたい方は行基の本で
詳細を確認してみて下さい。
後の時代になればなる程、
それ以前の歴史が必要になり、
重複が出るのが面倒ですね。
この周辺はマストではないので
大雑把でも道真公の理解は出来、
概略を踏まえるだけで良いなら
ザックリでも十分いけます。
ただ学術的な検証をしたい方は、
読んだ上で具体的な質問を
して頂けると研究が進むので、
建設的にお願いしたい所です。