複数の史料には渤海使節の来日時に
新羅訳語が同席していたと記され、
現代朝鮮語は七世紀に半島を統一した
新羅の言語を元に発展したとされます。
高句麗や百済は新羅により滅ぼされ、
高句麗の後を継いだ潮海の言語は、
こちらの系統も用いられていた
可能性は高いものがあるでしょう。
一部では奈良が古代朝鮮語の
ナラ(都・国)の転意ではないかと
論議されているようですが、
渤海使者との対話においては、
通訳なしにある程度は通じていたと
考える研究者もいるようですね。
日本書紀は徹底的に新羅を嫌い、
とことん悪く書いていますが、
唐と組んで高句麗や百済を滅ぼした
新羅を憎む理由は簡単そうです。
唐は後に武則天が政権を握る事で
一時的に別勢力となっていましたが、
武則天の建てた大雲寺にならった
国分寺建立などの流れを見ると、
この時代の二系統の勢力地図が
どう推移したか見えてくるようです。
この渤海との関係が変化したのが
道鏡の時代となってくるのですが、
テーマから外れるので別の機会に。