北宋と対立していた西夏国は
契丹と有効関係を結んでおり、
西夏の名前は中国の古代王朝の
夏に由来しているとされます。
伝説の禹王が作った夏王朝を
リスペクトした国であれば、
古代アジアへの理解が深く、
契丹がアジアの先住民族王朝の
復興を目論んだとするのなら、
親和性の高い話になります。
ただこの国の歴史については、
詳細を知る事が難しい状態にあり、
元が記した歴史書に依存する形に
なっていると言われています。
元と言えばチンギス・ハンで、
源頼朝周辺の時代の人物ですね。
ここでチンギス・ハン=義経説を
持ち上げる気はないのですが、
元が契丹に連なる古代アジアの
復興を目論んでいたとすれば、
元が信仰的にどの勢力だったかで
歴史書をどう扱ったか推察出来ます。
西夏は元に滅ぼされており、
契丹に侵略されて同盟を結んだ
歴史の記述にも疑問が出ます。
契丹の歴史の多くの部分が、
隠蔽・改竄された可能性が
非常に高いのが問題であり、
ここに日本が関係したなら、
大規模な歴史の修正が必要です。
この文脈で道真公の死を
再解釈するのであれば、
そのスケールは想像の
遥か上を行く事になります。