平城天皇と嵯峨天皇

山部親王(後の桓武天皇)の
第一皇子とされる平城天皇は、
大同元年(806)に桓武天皇が
死去した事から天皇となり、
同母弟の神野親王を立てて
皇太弟としたとされています。

神野親王は後の嵯峨天皇で、
両者に大きな対立が起きたと
伝えられている所ですね。

桓武天皇の時代に長岡京から
平安京に遷都したとされますが、
道鏡の時代に重なって来るので、
これはこれで一冊書けます。

と言うか道鏡を書こうかと
資料を集めていたのですが、
和気清麻呂が余りに面倒で、
放置状態にあります。

ざっくりと概略だけであれば
書くのは簡単なのですが、
色々と疑問が出るのは当然で、
それらに回答しようとすると、
格段に面倒な話になります。

地域振興や文化財保護目的には
中途半端な情報提示をすれば
マイナスに働きかねないので、
ここは仕分けがいりますね。

当然ここには宇佐八幡宮での
神託事件が関わって来ますが、
八幡は八幡で一冊書けるので、
体が一つでは足りません。

と言う事でここは省略しますが、
この天皇が道鏡や称徳天皇と
密接に関係する位置付けとなる
重要な存在である可能性があり、
称徳天皇は行基の本に書きました。

行基の時代が前提となる話なので、
ここの解釈如何で全く違った話に
なって来てしまうのですが、
私の研究を前提とする事により、
様々な謎に回答が得られます。

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