大同二年(807)に勃発した
伊予親王事件の結果を見ると、
興味深い事が分かります。
伊予親王と母の藤原吉子は
大和国川原寺に送られ服毒自殺、
親王の子女も流罪にされて、
嘉智子の伯父の橘安麻呂も
外戚を理由に国司を解任され、
橘氏も何人か罪に問われます。
弘仁元年(810)の記事では、
藤原仲成が妹の薬子の権勢を頼り
言いがかりをつけ追放させたと、
彼の責任に帰していますね。
伊予親王は皇位を継承する
可能性のある人物であり、
橘氏も諸兄に連なる政界の
重鎮達であった事を考えると、
謀反とするのは難しそうです。
これが810年の薬子の変まで
地続きの事件であったとすれば、
平城天皇vs嵯峨天皇の戦いの
前哨戦的な位置付けになります。