なぜか後世に記された
『源平盛衰記』の中に、
平城天皇が登場しています。
そしてこの記述の中に、
宇多天皇にまで通じる謎が
記されているのが問題です。
ここには平城天皇による
熊野行幸説が登場しており、
天皇による熊本への行幸は
宇多上皇を最初とする歴史に
ケンカを売っていますね。
源平について書かれた書なら
成立時期が問題となりますが、
平城天皇が先住民族の王系なら、
熊野は徐福王朝から重視され、
伊勢の神宮に気圧されていた
可能性もありそうです。
道真公と関わった宇多上皇は、
熊野参詣を始めていなくて
復興させただけであったなら、
周辺の歴史の解釈を大幅に
変更する必要がありますね。
ここで私の天神信仰=鬼道の
根拠の補強がなされますが、
熊野と言えば徐福なので、
色々と繋がってきます。
宇多と平城の両天皇が
同サイドの王であれば、
平城天皇も鬼道を行う
王であった可能性を
提示する事が出来ます。